やっていくしか道はない

広く薄く趣味とかやって生きていく人間の様

人生のトラップとしての不定愁訴

カルト宗教に絡めとられたり、あるいはイケハ〇みたいな人間のカモになる人って、不幸の中にあったり人生に迷いがあって、いわゆる「心が弱っている」「心に隙がある」状態の人間なんだろう。

 

そう考えると、今の自分もカモの条件をよく満たしているのかもしれない。

 

・病気(不定愁訴)に悩まされている

・人生で何をすべきか迷っている

 

これが今の自分。

良い精神状態でないのは間違いない。

 

 

 

…そんなことを思っていたら、先日ポストに宗教団体の勧誘ビラが入っていた。

「体の不調を抱えていませんか?その不調はご先祖様へのお供え、祈りを怠っていることが原因です」とか書いてあった。

んなアホな。

 

「”目や胃腸の”不調」という、まるで自分を狙い撃ちにしたかのような具体的な文句には流石にぎょっとした。

これはよくある〇〇占いとか〇〇診断と同じで、当てはまる人の多い症状を書いただけなのだろうが、気味が悪い。

書いてあることは荒唐無稽でも、ビラの作り自体はなんとも上品で、中身を読まなければ宗教団体のそれには見えない。よくできている。

 

 


 

 

「どうして自分がこんな辛い目に合わないといけないんだ」という、答えのない問いに答えを求めるあまりカルト宗教に傾倒してしまうケースは、病気のみならずあらゆる不幸においてあるだろう。

人間は説明のつかない、理解ができないものを良しとしないからな。

説明のいく理由を求める。

 

その点では、不定愁訴はことさらに厄介だ。

病気になった理由どころか、自分の身に何が起きているのかすら理解できないのだから。

 

病院を回り、いくら検査しても異常は見つからず、投げやりに効かない薬を処方されるだけ。

辛いのに周囲からも理解されず、「気にしすぎなだけ」等の言葉を投げられる(時には医者から)。

 

ちょっとした眩暈や耳鳴り程度ならいいかもしれない。

しかし中には症状が酷く仕事や学校に行けなくなり、人生が大きく狂う人間もいる。

 

そうして心が弱り、隙ができているところに「あなたの体の不調の原因は、実は……」と囁かれたら、藁をも掴む思いで聞く耳を持ってしまうだっているだろう。

例えその「原因」がどれだけ荒唐無稽で非科学的なものであっても……むしろ非科学的、超自然的であるからこそ、病院でどうにもできない納得性が増すというものかもしれない。

 

 

 

こう考えると、西洋医学や科学が発達・浸透していなかった時代における宗教の存在は本当に絶大だったろう。

病気になったのは変なものが取り憑いたからとか、犯した罪への罰だとか、そりゃ信じるよな。

信仰心を心の支えにしたからこそ闘病できた人もいたわけだから、良い面もあるんだろうが……それは今日でも同じか?



人生にはトラップが多すぎるねえ。