生きがい
自分は人並み以上には多趣味で、また趣味に使う時間が多い人間だと自認している。
最低限人との交流は求めるが、基本的に一人で趣味に向かっている時間が好きだ。
また今ある趣味の他にも、この先新しいものが見つかる可能性も十分あると思う。
ある友人は趣味と呼べるものがからきしなく、勤務時間外にやることと言えば飲酒かサービス労働の二択しかなかった。
そ奴の話を聞きながら、つくづく自分はこうでなくて良かったと思ったものだ。
(そ奴は結婚して、よく知らないが今は充実してるんじゃなかろうか)
しかし趣味がいくつかあると言っても、どれも
「これが大好きで、これさえできれば他はどうでもいい」
「生涯をかけて打ち込み、いつか偉大な業績を残したい」
というほどの熱意は持っていない。
何をやってもそこそこの域で満足するか、諦める。
なぜか?
まず、何事においても猛烈にやり込むエネルギーみたいなものがない。
例えば新作ゲームが発売されて、その日のうちに全クリしてエンドコンテンツに突入するようなゲーマーは珍しくないが、とてもああいうことはできない。
集中できないわけではないのだが、好きなことでも長時間続けてやってると単純に飽きてくる。
毎日ほどほどに進めるのが性に合っている。
次に、勉強や練習が必要なものに言えることだが、壁を乗り越えることを放棄しがち。
努力嫌い、向上心がないと言えばそれまでだが、努力を厭わないほどの強力なやりがいを感じないのは事実だから、仕方がないと思っている。
必要な努力と、壁を乗り越えて得られるであろうものを天秤にかけると、大抵「上級者」とか呼ばれる域の遥か手前で「ここら辺でいいか」となってしまう。
「成長すること自体の喜び」も無いわけではないのだが……
だから自分が趣味人間か?というと、ちょっと答えに迷う。
ライトな趣味人間。
何が言いたいかというと、自分は趣味をいくつも持ってはいるが、そのいずれも「絶対的な生きがい」と呼べるほどの存在ではないということ。
絶対的な生きがいとはつまり、「自分はこれのために生きている」と自信を持って言える、究極的な存在理由。存在目的。
Absolute reason to be.
ものは人それぞれで何でもいい。
ではその絶対的な生きがいを持たない自分は日々何をして、どういうマインドで生きていくべきなのか?
ただでさえ将来に不安を覚える話しか聞こえてこないこの国で、生活の大半を労働に費やし生活していると、嫌でもこの問いが鎌首をもたげてくるというもの。
何のために疲労とストレスを溜めながら生きているのか?
趣味から得られる喜びは、疲労やストレスと釣り合っているか?
これ大学生の頃から感じてたけど、就職して数年はなんやかんや新しい生活が新鮮で、しばらく忘れていた。
しかしここ最近は生活の新鮮味も薄れてきて、再びこの問題と向き合わざるを得なくなってきた、というわけ。
今は言うても経済的自由を手に入れて好きなように生きてるから「毎日が空しい…」みたいなわけでは全然ないけど、大学生の頃は一時期完全に虚無だった。
同じような悩みを抱えて生きる現代人は先進国に多いことだろう。
メディアでよく見聞きする話題だ。
趣味を持たない人に関して言えば、家庭を築くこと(子育て)、あるいは仕事(出世)が生きがいとなるのが一般的なのだろうか。
本当は言うほどでもないけど、他に生きがいになるものもないから…と消極的に宛がう人も多いだろうが。
それらを生きがいとすることが世間的にも「正しい人生」とされているように思われる。
(豊かでない国なら間違いなく理想の人生だろう……日本は豊かな国か?)
しかし結婚する気がなく、仕事にも大したやりがいを感じていない自分にとっては、どちらも生きがいにするのは厳しい。少なくとも今は。
さて、これは難しい問題で、恐らく簡単に答えが見つかるようなものではない。
しかし、考えることを避けて日々を過ごすのが賢明でないことも確かだ。
自分なりの答えを導き出し、それを適宜修正しつつ人生に向き合っていく必要がある。
やっていくしか道はないのだ。
自分は、上で述べた通り「色んな趣味を広く薄く楽しめる人間」だと言える。
この強み(??)をどのように使っていくか、取り組んでいくかを基本にして考えていくことになるだろう。
そしてこれは自分に限った話ではないが、この問題の答えを模索するには色んなアプローチの仕方があるように思われる。
なので今後、人生で何をすべきかを色んな観点からああでもないこうでもないと考え、そのアウトプットをここに綴っていく。